krilosr’s blog

遠慮がちな社員から面白いアイデアがどんどん出てくる「全員経営」

フラット型組織の就業規則作成が得意なクリーロ企業文化研究所の公式ブログです

流行のその制度あなたの会社に合いますか?

流行の制度を次々に取り入れる経営者がいます。

成果主義、360度評価、テレワークなどなど枚挙にいとまがありません。

 

先般女性活躍推進法が施行されたこともあり、

今は育児中の女性に配慮した制度が花盛りです。

 

厚生労働省「女性活躍推進法特集ページ」

 

現政府が「一億層活躍社会の実現」を標榜していることもあり、

大手企業はこぞって育児や介護といった事情で第一線で働けない社員のための制度づくりに取り組もうとしています。

 

様々な事情を抱えた社員が働きやすいように制度を充実させる。

多様性を包含する会社にする。

一見素晴らしいことのように思えます。

しかし、本当にこれで良いのでしょうか?

 

潤沢なリソースがある大企業は、まあよいかもしれません。

しかし、中小企業は熟慮のうえ取捨選択する必要があります。

 

具体的には、

・会社の理念に合っているか

・イメージアップに利用していないか

・事情を抱えた社員に過剰に配慮を示し、従来の社員をないがしろにしていないか

・勤務を継続しやすくなっているだけで、意欲を喚起できていなくはないか

・成果に繋がるのか

といったことです。

 

目的は、様々な事情を抱えた社員を在籍させておくことではありません。

ましてや、イメージアップに利用するのは論外です。

いつの時代にも大切なのは、

社員が成長できる場をつくり、

会社も業績を上げることです。

 

制度と装いには共通点があります。

どんなに流行っていても、合わないものは合いません。

当人はご満悦でも、他人からは一目瞭然です。

 

流行の制度が自分の会社の文化に合うかどうか、

目的に沿っているかどうか、

よくよく考慮のうえ取り組んでくださいね。

性善説と性悪説

経営者とお話しすると、

性善説」と「性悪説」という言葉が出てくることがあります。

 

具体的には、

性善説を信じるから、自由な環境で社員の自主性に任せる。」

性悪説を信じるから、社員はルールで統制する必要がある。」

といったお話です。

 

しかし、この認識は正しいのでしょうか?

 

よくある誤解として、

性善説「人の生来の性質は善である。よって人を信じるべきである。」と説いたもの。

性悪説「人の生来の性質は悪である。よって人は疑ってかかるべきである。」と説いたもの。

というものがあります。

 

ところが、本来の意味は、『大辞林』第三版によると、

性善説「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており,悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。正統的儒学の人間観。孟子の首唱。」

性悪説「人間の本性を利己的欲望とみて,善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。孟子性善説に対立して荀子が首唱。」

とあります。

 

そうなのです。

性善説性悪説は、いずれも、

「人は善と悪・良心と利己心を併せ持つ」という考えなのです。

 

したがって、善悪のいずれか一方を過剰にクローズアップするのでは片手落ちです。

 

特に性善説という言葉には、

その意味を誤解している人にとっては、

良き人でありたい願望を掻き立てるような、甘美な響きがあります。

 

しかし、マリア・仏陀レベルの聖人ならばいざしらず、

普通の人間であれば誰もみな、

利己的な欲望に流される弱い心も常に併せ持っています。

 

これを正しく認識することで、

社員を野放しにするのではなく、

さりとてルールで縛り付けるのでもなく、

「社員が利己心よりも良心を発揮する方がしっくりくるような企業文化を醸成しよう。」

という考えにつなげることができます。

 

さて、肝心なその企業文化を醸成するにはどうすれば良いのか?

という疑問が、今あなたに浮かんだことと思います。

 

それは、とてもシンプルです。

経営者の正直な生き様を経営理念に反映させ、

たとえうるさがられようが、めげずに何度も繰り返し伝えることです。

 

何度も繰り返し伝えることで、

次第に企業文化が醸成され、

正直で一貫性のある職場環境が整います。

シンプルだけど奥が深いこの方法。

ぜひお試しください。

ルールがないのに不自由になるって本当?

「ルールのない会社が理想です」

「自由と一対である厳しさも学んでもらいたいんです」

と、ルールのない自由な会社にあこがれる経営者がいらっしゃいます。

 

社員をルールから解き放つ。

社員の自律性に100%任せる。

それで、社員が存分に力を発揮し、同じ方向性で成長を遂げていけば理想的です。

 

しかし、そう上手くいくものでしょうか?

 

もちろん、労働基準法上、従業員が10名以上いる組織は就業規則の作成と届出は必須です。

それはさておき、法で定められた部分以外のルールについて考えてみても、

何のルールもなく「自由に力を発揮してください」というのは、

大海原に海図も羅針盤もなく放り出すようなものです。

 

放り出された社員は、まずは途方に暮れます。

何から手をつけて良いか、どこまでやるのが適切なのか、皆目見当がつかないからです。

何も指標がないところでやみくもに動いて体力を消耗し、

やがて、じっとしているのが一番効率が良いという学習をしてしまいます。

 

持てる力を自由に存分に発揮して欲しいのに、

じっとしている方が良いという選択をしてしまう。

なんて結果になると、目も当てられません。

 

本当に社員に存分に力を発揮してもらおうとすると、ある程度のルールは必要です。

「この範囲内であれば、自由にしてもいいよ。」

というものが決まっていれば、安心してトライしてみようという気になります。

 

また、ある程度ルールが決まっている方が、

「この中で成果を最大限に発揮するにはどうしたらよいのだろうか?」

と工夫を重ねるようになります。

 

そして、そのルールが企業文化をベースに作られたものであれば、

自ずと企業文化の共有につながります。

 

長い年月を掛け共有できれば、

究極的には、企業文化自体が見えないルールとなり、

明文化されたルールがなくとも、社員が同じ方向性で力を発揮できるようになるのです。

 

一足飛びにルールのない自由を目指すのではなく、

まずはルールを上手に活用しながら企業文化をじっくりと醸成することに取り組みましょう。

余白の美を大切に

「もっと無駄をなくしたい」

「もっと業務を効率化したい」

という経営者の声をよく耳にします。

そして、その願いの先には大抵コストカットがあります。

 

毎月の経費もばかになりませんし、その思いはよくわかります。

それに、無駄をなくすのって、とってもいいことな気がしますよね。

しかし、本当に無駄は良くないのでしょうか?

 

確かに無頓着から生まれる無駄はなくすべきですし、

不要な重複も避けるべきでしょう。

また、やり方を極めると効率化がはかれます。

パズルのように隙間なく有効活用することができ、満足感も得られます。

しかし、残念なこともあります。

余白の美がなくなるのです。

 

日本では古来から余白の美を大切にしてきました。

それは書画に限るものではありません。

 

忙しいさなかに差し出された一服のお茶が、

やすらぎを与えてくれます。

ぽっかり空いた時間が、周囲を見渡すゆとりを生み出し、

新しい着想をもたらします。

 

それは経営に目を転じてみても同じことです。

コストカットで一時的に効果は表れますが、

コストを切り詰めるのには限度があります。

削った分しか利益は生まれません。

 

業務効率化をはかるにしても、

黙々と仕事をしなければ定時内に終わらせられない。

となると、次第に潤いがなくなり、職場の空気も殺伐としてきます。

 

何事も、ある程度の余白がないと、

せっかく無駄をなくし効率化をはかったつもりでも、

効果が発揮できません。

ジャストサイズでは、それ以上に大きくなりようがないのです。

 

同じ労力を注ぐのであれば、

プラスの方向に目を向けてみてはいかがでしょうか。

削減は、どんなに頑張ったところで元の大きさ以上にすることはできませんが、

新しいものを積み上げられる可能性は無限大です。

 

無駄と捉えるか、余白の美と捉えるか。

捉え方次第で、あなたの会社の未来に大きな差が生まれますよ。

察し合うという風潮

日本では、他者の思いを汲むことが美徳とされています。

いわゆる「察する」もその一つです。

 

・行間を読む

・空気を読む

・あうんの呼吸

日本古来の素晴らしい文化です。

 

しかし、会社においてはどうでしょうか?

私はマイナスに働くことが多いと感じています。

 

「お互いに察しよう」という空気が会社に蔓延するとどうなるでしょうか?

他者を慮るというプラスの面が強く出れば理想的ですが、

そうは問屋がおろさないのが世の常です。

 

「なんとなく言いづらいから言わずにおこう。でもきっと察してもらえるよね?」

 (↑自己の勇気のなさを他者に転嫁するという甘え。)

「なんか今日○○さん機嫌が悪そうだな。本当は△△の報告をしたいけど、触らぬ神に祟りなし」

 (↑心情を察したつもりという妄想の影響を受け、必要な報告を怠る。)

ということにもなりかねません。

 

自発的に他者の思いを汲むのは素晴らしいことですが、

それを他者にも期待するのは甘えです。

よしんば察して貰えたとしても、

自分が望んだことを察してくれている可能性は限りなくゼロに近いと思ってください。

また、他者の思いを汲んだ気になることも危険です。

本心は本人のみぞ知るです。

 

どんなに親しい人間でも、言葉なくして分かり合えることはありません。

ましてや、仕事をする目的のもとに集まった会社という組織では尚更です。

 

企業文化は理念や方向性の共有によって徐々に醸成さていきますが、

それはテレパシーで出来るものではありません。

言葉で明確に伝えて共有する。

という言語化が欠かせないのです。

 

人間は言語という道具を持つ唯一の生き物です。

察し合うよりも伝え合いましょう。

会話は居酒屋よりも社内で!

社内のコミュニケーション不足が取り沙汰され始めたはいつ頃のことでしょう。

私が社会人になった頃には既に課題にあげられていた気がします。

 

社員同士のコミュニケーション手段としてよく挙げられるのが「会社の飲み会」。

長らく敬遠されていましたが、ここ最近は復活の兆しが見られるそうです。

また、若手社員の肯定派が増えてきているというデータもあります。

コミュニケーション不足を補い、本音で語り合える場を持とうとする姿勢は素晴らしいですね。

 

しかし、それは本当に飲み会でなければ出来ないのでしょうか?

 

場所を変えることでいつもと違う話が出来る。

という効果があることは確かです。

悩み事や個人的な話は会社ではしづらい。

ということもあります。

また、ビジョンや将来像などの夢のある壮大な話は、飲み会でする効果も大きいでしょう。

 

しかし、普段の業務でのコミュニケーション不足を飲み会で補おうとするのであれば、

いささか効果に疑問符がつきます。

なぜなら、人間の記憶のピークは出来事の直後だからです。

 

ちょっとした気遣いが足りず、後々気まずくなり、段々話しづらくなる。

殆どの方が経験されたことがあると思います。

これは、コミュニケーションのタイミングを逸したことも大きいのではないでしょうか。

 

イベントがなくとも日常的に社内で必要なコミュニケーションが取れるのが理想です。

仕事をしながら自然に信頼関係を築ける環境をつくれると最高です。

それには何よりも、

・話しかけられやすく

・話しかけやすい

企業文化づくりが大切なのです。

 

コミュニケーションの鍵は日常にあります。

特別な場を設けるのではなく、普段のちょっとした会話を心がけましょう。

人事評価制度は本当に必要?

経営者のみなさん、社員の評価はどのようにされていますか?

「人事評価制度を導入しているよ」という企業も多いのではないでしょうか。

 

近年は人事評価制度の導入を要件としている助成金も多いため、

それを契機に導入した会社も多いのではないかと思います。

 

人事評価制度を導入のきっかけの多くは、公平な処遇を求めてのことでしょう。

客観性・合理性といった万人にわかりやすい物差しをもって、評価しようというものです。

主観のズレを限りなくゼロに近づけることによって社員が納得感を覚えられるようにし、

意欲を喚起しようという試みです。

 

客観性・合理性・公平性。

明確な物差しで社員を評価する。

一見フェアで素晴らしい制度に見えますよね。

しかし、本当に人事評価制度は必要なのでしょうか?

私は不要な会社も多いのではないかと考えています。

 

もともと、人事評価制度の導入には、

「限りある原資を最適に割り振るため」という側面もありました。

その評価の分布に当てはめようとすると、いきおい相対評価になります。

絶対評価ではきれいに割り振れないからです。

 

人間にはそれぞれに持ち味があります。

各企業に最適な持ち味がそれぞれ異なるのは確かですが、持ち味自体に優劣はありません。

絵に描いたようにきれいに分布するわけもないものを、無理に相対評価をしようとすることで不幸が生じます。

そうして肌感覚と異なる評価結果が生まれてしまうのです。

このことから、とりわけ社長の目が届く規模の会社に人事評価制度は不要だと考えています。

 

また、評価基準には仕事の難易度によって等級が決まるしくみも多くあります。

「この仕事が出来ればこの等級。」という具合です。

ステマチックな作業を行う職場には当てはまるかもしれませんが、

クリエイティブな組織には不向きです。

なぜなら既存の概念にとらわれがちになるからです。

 

では、何をもってすれば課題である主観のズレを小さくし、社員の意欲を喚起できるのでしょうか?

そこでお薦めしたいのが、

社員自身が創りあげたクレドや行動指針を元にする対話です。

 

日々の仕事ぶりがクレドや行動指針に沿っているかを対話を通じて確認し、お互いの共通認識とします。

その時、A4一枚程度のシンプルなチェックシートを用意しましょう。

2週間に1度、1回5分でもよいので対話を繰り返すことにより、

立派な人事評価制度を用いるよりも主観のズレが小さくなります。

そして何よりも、「いつも見守って理解してくれる上司が傍にいる」ということは、

社員に安心感を与え、ここで頑張ろう、もっと成長しよう、という意欲を育むのです。

 

繰り返しになりますが、大事なことは、

主観のズレを限りなく小さくし、社員の働く意欲、成長欲を喚起することです。

評価すること自体が目的ではない、ということを忘れてはなりません。

本当にあなたの会社に人事評価制度は必要ですか?