krilosr’s blog

遠慮がちな社員から面白いアイデアがどんどん出てくる「全員経営」

フラット型組織の就業規則作成が得意なクリーロ企業文化研究所の公式ブログです

思い遣りのつもりが価値観の押し付けに!?

日頃経営者の方々とお話をしていると、

社員にとても気を配っていることがわかります。

会社で仕事の成果を最大限に発揮してもらうためにも、

社員に少しでもモチベーションを上げて欲しい、

と思うからでしょう。

 

そこからの派生になりますが、

「うちの業種はつまらない苦痛な仕事が多いから、社員が気の毒だ。」

と言う方も結構いらっしゃいます。

表情をみていると、いわゆる照れ隠しではなく、

社員を心から思いやっているのがわかります。

 

社員を思いやる社長。

素晴らしい社長に思えますよね。

しかし、そうとも言い切れないのが辛いところです。

思いやりという行為自体はとても大切なことですが、

その思いやる内容が問題なのです。

 

おそらく思いやりの第一フィルターとして使われているのは、

子供の頃に教えられた

「自分が嫌なことは人にしてはいけません」

という言葉です。

残念なことに、この言葉を曲解している社長が多いのです。

 

ここでの嫌なことは、道徳にもとることです。

自分が苦手なこと、嫌いなこと、ではありません。

 

人それぞれ持ち味も、得意分野も違います。

自分が苦手なこと、嫌いなことをさせない。

ということは、相手を思いやっているつもりで、

無意識のうちに価値観を押し付けているのです。

 

一番スッキリするのは、

社長が「つまらない」と思う仕事は、業務内容から外すことです。

「そうは言っても取引先との関係上、簡単に辞められないよ~」

と言うのであれば、視点を変えてみましょう。

 

先ほども書きましたが、人間には一人ひとり異なる持ち味があります。

社長のあなたにはつまらない仕事でも、

社員Aさんにとってみれば面白い仕事かもしれません。

これがチャンスだと思って、

社長にとって苦痛なこと、つまらないことは、まずは社員に任せてみましょう。

結果、社員にとっても苦痛であり、つまらないことであれば、思い切ってその業務はなくすか外注しましょう。

 

もし、社員にとってやりがいのあることであれば、

会社の方針から外れない範囲で全面的に任せてしまうことで、

自然に社員の自律性を育くむことができます。

大切なのは決め付けないことです。

思いやりが価値観の押し付けになっていないか、時々立ち止まって考えてみましょう。

素敵なオフィスに潜む罠

サイボウズ日本橋オフィスや楽天のクリムゾンハウスなど、

従来の常識を覆すようなオフィス環境が次々と創造されています。

世界に目を向ければ、Appleや今をときめくAirbnbなどのオフィスもそれはそれは斬新です。

とはいえ元々がアメリカからの流れではありますが。

 

今や、こうした先進的な企業だけでなく、

日本の伝統的な企業でもオフィスに手を入れて、

フリーアドレスを推進する動きがあります。

 

事務作業をするのに適した従来の画一的な空間からの脱却。

というと、とてもカッコイイのですが、

こうした時流に乗った素敵なオフィスが増えるにつれ、

なんとなく違和感を覚えるのも事実です。

 

日本の企業の中には、

・脚光を浴びている一部の先進的な企業がやっているから

・オフィスを綺麗にしたらイメージアップするから

というお門違いの理由でフリーアドレス化を進めているところもあります。

 

フリーアドレスで部署間の対話を増やすはずだったのに、

理想のオフィスを実現するために、あれやこれや欲張っていたら、

スペースが足りなくなり、別のビルを借りる羽目になった。

という笑えない実話もあります。

 

何のためにオフィス環境を刷新するのか、

原点に立ち返ることが大切です。

 

対外的なイメージアップのためですか?

であれば、即座に中止すべきです。

投資に値しません。無駄です。

 

もう一度胸に手を当てて考えてみましょう。

本当の目的は、会社に関わる人同士の対話を増やしたり、

社員の創造性を育む環境をつくるためではありませんでしたか?

 

先述のAirbnbでは、「暮らすように旅しよう」

という社是を体現したオフィスづくりをしています。

たとえば、世界各国に実在する家屋をモチーフに会議室や食堂や打ち合わせスペースを作る、

という念の入りようです。

社是を体現した場所で働けば、おのずと社員と社是が共有できるからですね。

 

オフィスは大切な会社と社員を包む器です。

会社の方針や社員の意識に大きな影響を及ぼします。

理念に沿わないオフィス環境の刷新は厳に慎みましょう。

流行のその制度あなたの会社に合いますか?

流行の制度を次々に取り入れる経営者がいます。

成果主義、360度評価、テレワークなどなど枚挙にいとまがありません。

 

先般女性活躍推進法が施行されたこともあり、

今は育児中の女性に配慮した制度が花盛りです。

 

厚生労働省「女性活躍推進法特集ページ」

 

現政府が「一億層活躍社会の実現」を標榜していることもあり、

大手企業はこぞって育児や介護といった事情で第一線で働けない社員のための制度づくりに取り組もうとしています。

 

様々な事情を抱えた社員が働きやすいように制度を充実させる。

多様性を包含する会社にする。

一見素晴らしいことのように思えます。

しかし、本当にこれで良いのでしょうか?

 

潤沢なリソースがある大企業は、まあよいかもしれません。

しかし、中小企業は熟慮のうえ取捨選択する必要があります。

 

具体的には、

・会社の理念に合っているか

・イメージアップに利用していないか

・事情を抱えた社員に過剰に配慮を示し、従来の社員をないがしろにしていないか

・勤務を継続しやすくなっているだけで、意欲を喚起できていなくはないか

・成果に繋がるのか

といったことです。

 

目的は、様々な事情を抱えた社員を在籍させておくことではありません。

ましてや、イメージアップに利用するのは論外です。

いつの時代にも大切なのは、

社員が成長できる場をつくり、

会社も業績を上げることです。

 

制度と装いには共通点があります。

どんなに流行っていても、合わないものは合いません。

当人はご満悦でも、他人からは一目瞭然です。

 

流行の制度が自分の会社の文化に合うかどうか、

目的に沿っているかどうか、

よくよく考慮のうえ取り組んでくださいね。

性善説と性悪説

経営者とお話しすると、

性善説」と「性悪説」という言葉が出てくることがあります。

 

具体的には、

性善説を信じるから、自由な環境で社員の自主性に任せる。」

性悪説を信じるから、社員はルールで統制する必要がある。」

といったお話です。

 

しかし、この認識は正しいのでしょうか?

 

よくある誤解として、

性善説「人の生来の性質は善である。よって人を信じるべきである。」と説いたもの。

性悪説「人の生来の性質は悪である。よって人は疑ってかかるべきである。」と説いたもの。

というものがあります。

 

ところが、本来の意味は、『大辞林』第三版によると、

性善説「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており,悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。正統的儒学の人間観。孟子の首唱。」

性悪説「人間の本性を利己的欲望とみて,善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。孟子性善説に対立して荀子が首唱。」

とあります。

 

そうなのです。

性善説性悪説は、いずれも、

「人は善と悪・良心と利己心を併せ持つ」という考えなのです。

 

したがって、善悪のいずれか一方を過剰にクローズアップするのでは片手落ちです。

 

特に性善説という言葉には、

その意味を誤解している人にとっては、

良き人でありたい願望を掻き立てるような、甘美な響きがあります。

 

しかし、マリア・仏陀レベルの聖人ならばいざしらず、

普通の人間であれば誰もみな、

利己的な欲望に流される弱い心も常に併せ持っています。

 

これを正しく認識することで、

社員を野放しにするのではなく、

さりとてルールで縛り付けるのでもなく、

「社員が利己心よりも良心を発揮する方がしっくりくるような企業文化を醸成しよう。」

という考えにつなげることができます。

 

さて、肝心なその企業文化を醸成するにはどうすれば良いのか?

という疑問が、今あなたに浮かんだことと思います。

 

それは、とてもシンプルです。

経営者の正直な生き様を経営理念に反映させ、

たとえうるさがられようが、めげずに何度も繰り返し伝えることです。

 

何度も繰り返し伝えることで、

次第に企業文化が醸成され、

正直で一貫性のある職場環境が整います。

シンプルだけど奥が深いこの方法。

ぜひお試しください。

ルールがないのに不自由になるって本当?

「ルールのない会社が理想です」

「自由と一対である厳しさも学んでもらいたいんです」

と、ルールのない自由な会社にあこがれる経営者がいらっしゃいます。

 

社員をルールから解き放つ。

社員の自律性に100%任せる。

それで、社員が存分に力を発揮し、同じ方向性で成長を遂げていけば理想的です。

 

しかし、そう上手くいくものでしょうか?

 

もちろん、労働基準法上、従業員が10名以上いる組織は就業規則の作成と届出は必須です。

それはさておき、法で定められた部分以外のルールについて考えてみても、

何のルールもなく「自由に力を発揮してください」というのは、

大海原に海図も羅針盤もなく放り出すようなものです。

 

放り出された社員は、まずは途方に暮れます。

何から手をつけて良いか、どこまでやるのが適切なのか、皆目見当がつかないからです。

何も指標がないところでやみくもに動いて体力を消耗し、

やがて、じっとしているのが一番効率が良いという学習をしてしまいます。

 

持てる力を自由に存分に発揮して欲しいのに、

じっとしている方が良いという選択をしてしまう。

なんて結果になると、目も当てられません。

 

本当に社員に存分に力を発揮してもらおうとすると、ある程度のルールは必要です。

「この範囲内であれば、自由にしてもいいよ。」

というものが決まっていれば、安心してトライしてみようという気になります。

 

また、ある程度ルールが決まっている方が、

「この中で成果を最大限に発揮するにはどうしたらよいのだろうか?」

と工夫を重ねるようになります。

 

そして、そのルールが企業文化をベースに作られたものであれば、

自ずと企業文化の共有につながります。

 

長い年月を掛け共有できれば、

究極的には、企業文化自体が見えないルールとなり、

明文化されたルールがなくとも、社員が同じ方向性で力を発揮できるようになるのです。

 

一足飛びにルールのない自由を目指すのではなく、

まずはルールを上手に活用しながら企業文化をじっくりと醸成することに取り組みましょう。

余白の美を大切に

「もっと無駄をなくしたい」

「もっと業務を効率化したい」

という経営者の声をよく耳にします。

そして、その願いの先には大抵コストカットがあります。

 

毎月の経費もばかになりませんし、その思いはよくわかります。

それに、無駄をなくすのって、とってもいいことな気がしますよね。

しかし、本当に無駄は良くないのでしょうか?

 

確かに無頓着から生まれる無駄はなくすべきですし、

不要な重複も避けるべきでしょう。

また、やり方を極めると効率化がはかれます。

パズルのように隙間なく有効活用することができ、満足感も得られます。

しかし、残念なこともあります。

余白の美がなくなるのです。

 

日本では古来から余白の美を大切にしてきました。

それは書画に限るものではありません。

 

忙しいさなかに差し出された一服のお茶が、

やすらぎを与えてくれます。

ぽっかり空いた時間が、周囲を見渡すゆとりを生み出し、

新しい着想をもたらします。

 

それは経営に目を転じてみても同じことです。

コストカットで一時的に効果は表れますが、

コストを切り詰めるのには限度があります。

削った分しか利益は生まれません。

 

業務効率化をはかるにしても、

黙々と仕事をしなければ定時内に終わらせられない。

となると、次第に潤いがなくなり、職場の空気も殺伐としてきます。

 

何事も、ある程度の余白がないと、

せっかく無駄をなくし効率化をはかったつもりでも、

効果が発揮できません。

ジャストサイズでは、それ以上に大きくなりようがないのです。

 

同じ労力を注ぐのであれば、

プラスの方向に目を向けてみてはいかがでしょうか。

削減は、どんなに頑張ったところで元の大きさ以上にすることはできませんが、

新しいものを積み上げられる可能性は無限大です。

 

無駄と捉えるか、余白の美と捉えるか。

捉え方次第で、あなたの会社の未来に大きな差が生まれますよ。

察し合うという風潮

日本では、他者の思いを汲むことが美徳とされています。

いわゆる「察する」もその一つです。

 

・行間を読む

・空気を読む

・あうんの呼吸

日本古来の素晴らしい文化です。

 

しかし、会社においてはどうでしょうか?

私はマイナスに働くことが多いと感じています。

 

「お互いに察しよう」という空気が会社に蔓延するとどうなるでしょうか?

他者を慮るというプラスの面が強く出れば理想的ですが、

そうは問屋がおろさないのが世の常です。

 

「なんとなく言いづらいから言わずにおこう。でもきっと察してもらえるよね?」

 (↑自己の勇気のなさを他者に転嫁するという甘え。)

「なんか今日○○さん機嫌が悪そうだな。本当は△△の報告をしたいけど、触らぬ神に祟りなし」

 (↑心情を察したつもりという妄想の影響を受け、必要な報告を怠る。)

ということにもなりかねません。

 

自発的に他者の思いを汲むのは素晴らしいことですが、

それを他者にも期待するのは甘えです。

よしんば察して貰えたとしても、

自分が望んだことを察してくれている可能性は限りなくゼロに近いと思ってください。

また、他者の思いを汲んだ気になることも危険です。

本心は本人のみぞ知るです。

 

どんなに親しい人間でも、言葉なくして分かり合えることはありません。

ましてや、仕事をする目的のもとに集まった会社という組織では尚更です。

 

企業文化は理念や方向性の共有によって徐々に醸成さていきますが、

それはテレパシーで出来るものではありません。

言葉で明確に伝えて共有する。

という言語化が欠かせないのです。

 

人間は言語という道具を持つ唯一の生き物です。

察し合うよりも伝え合いましょう。